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設立趣旨

芸術は、社会のなかで生まれ、育ち、そしてこれに働きかける。社会から切り離された「孤高の芸術家」もまた、特定の社会的条件のなかで産出され消費されたイメージにほかならない。社会芸術学会の活動は、社会と芸術との間のダイナミズムに向かって、展開される。

 

社会は、人間関係の単なる構造ではなく、具体的な現象として必ずやローカリティ―を帯びるのであり、そのアスペクトは「文化」として表象される。ただしそれぞれの「文化的固有性」は、「日本的なもの」あるいは「アジア的なもの」、「ヨーロッパ的なもの」などといった単一の実体に還元されるものではなく、実のところ、さまざまな要素から織りなされ、しかもそうして生まれる相互関係のなかで変化していくものだといわねばならない。そのことは、グローバリゼーションが急速に進展した20世紀後半に始まる新しい事態ではない。社会の果実ともいうべき芸術が、それ自体に多様な文化素を孕み、「固有色」を塗り替えていくのは、時代を超えた本質的な性格というべきでさえある。したがって社会芸術学会の学術的志向は、文化の多様性と可変性に開かれたものでなければならない。

 

人間の耕作物としての「文化」の少なくとも一つの始まりは言語にある。言語は、それ自体取り出されれば空疎なものにしか見えない音に、意味やニュアンスといった、人間的生と制作の基本方向を与えるのであり、文化の「固有性」がその展開の場となる言語の名前をもって呼ばれるのは、理由のないことではない。さらに言語は、自らの上に組み上げられた文化を超え、またそれとともに、他の言語とそこで生まれた別な文化へと手を伸ばし、これと絡み合い、それによって諸文化間の交流を、すなわちさらに新たな文化のポリフォニックな形成を促す。同時に言語は、そうした過程のなかで、己れの世界構築の限界を自覚する場所としても働きうる。唯一の普遍的な基本言語など、あるはずがない。さまざまな言語が、その特殊性を宿したまま、相互につながった空間が開かれる。学問的探究もそれ自体、一つのアルスにほかならない。それゆえ文化的特殊性を帯びるのは不可避なことだが、このアルスは、同時に「普遍的」であろうとする意思をもつ。この意志を実現していくのは、多様な言語がその限界の自覚に基づいて結び合う、かの空間を措いてない。社会芸術学会は、間言語的なこの空間のなかで各々の知的営為を結び合わせようと試みる。

 

対象となる社会と芸術の多文化的ダイナミズムも、学術的活動の場所としての多言語的空間も、解明に対して特定のパースペクティヴへの固執を許さない。芸術研究が作品の制作主体にその関心を集中させたとしても、この主体自体が政治的経済的空間でもある社会のなかを動き、芸術とは一見無縁な人間関係を結び、その悩みを抱えこむ。そうだとすれば研究は、特定の学問の枠組みを超えていく必然性から逃れられない。もっとも求められる研究の学際性は、単に多様な学問の視座を取り込んで、対象を多角的に分析することに留まってはならない。いやしくも研究が厳密な意味で「客観的」でなければならないとするならば、すなわち対象への加工をできる限り排除し、対象自体に己れを語らせようとすべきものならば、芸術と社会のダイナミズムと向き合うことによって、研究は自らの視座自身が変貌していく可能性に開かれていなければならない。正しい意味での学際性とは、既存の学問体制に垢のようにこびりついている習慣からの自己解放と同義であると、社会芸術学会は考える。

 

社会芸術学会は、かくして多文化的、多言語的、そして学際的研究志向を、そのモットーとして掲げる。

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