機関誌『社藝堂』について
機関誌『社藝堂』投稿規定(第12号)
社会芸術学会の機関誌として、広く会員の意欲的な投稿を歓迎します。
以下、投稿規定をご確認のうえ、ふるってご応募ください。
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論文は未発表のものに限ります。
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原稿は日本語・英語とも横書きで、字数は、日本語の場合は20,000字(400字詰原稿用紙換算で50枚)以内、英語の場合は6,000words(ダブル・スペースで1枚65ストローク×25行、30枚相当)以内を原則とします。ただし、タイトル・図版・注・文献一覧も字数に含めてください。
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原文の引用は、新字のあるものはなるべく新字を用い、注の番号・配列などは本誌のスタイルに合わせてください。(注は文末にまとめてください。)
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200字(70words)程度の要旨、およびキーワード5点をあわせて送付してください。
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送付時のファイル形式は、Microsoft Wordかテキストファイルの形式とします。可能であれば、同内容のファイルをPDF形式に変換したものも併せて送付してください。(アプリケーションの互換性等で問題が生じた場合の確認用です。)
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第12号投稿締め切りは2025年2月末日、投稿先は以下の編集担当メールアドレスです。
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editorsocialaesthetics [at] gmail.com
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投稿された論文は、編集委員会によって委嘱された委員が査読し、さらに編集委員会での審議を経て、採否を決定します。査読結果は、文書で投稿者へ通知されます。
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採用された場合は、査読結果を踏まえて加筆・訂正を依頼する場合があります。
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特にお申し出のない限り、掲載された論文は科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)に登載されます。図版等については、別途、著者が許諾の責任を負うことになります。
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なお、情勢に鑑み、第12号(2025年)以降は紙媒体は廃止し、電子媒体のみの会誌として発行します。
第11号(2024)
第11号はJ-STAGEにて公開予定です(2024年10月17日)。公開日以降にリンクよりご参照ください。
檜垣立哉「北野武の映画について(1):前期北野映画をめぐって」
澤田美恵子「自然と人為のあわい:樂雅臣の彫刻」
伊藤徹「是枝裕和・傷ついた家族たち」
細井綾女「「恋愛」から「レイプ」まで:性暴力における「合意」概念の曖昧さ」
杉﨑哲子「高等学校芸術科書道における「書」の印象の言語化」
有馬景一郎「フェリックス・ガタリの四機能素はどう構成されているか:表現と内容のメタモデルにおけるイェルムスレウ言語素論受容の観点から」
第10号(2023)
第10号はJ-STAGEにて公開されています。リンクよりご参照ください。
日下淳「国際ニュースと芸術」
米田明「覚書:「現代建築」(contemporary architecture)と歴史性(Geschichtlichkeit)」
伊藤徹「是枝裕和・傷ついた家族たち」
檜垣立哉「相米の仕舞い方:相米慎二試論(4)」
荻野 雄「映画はなぜ「物理的現実の救済」なのか?:「生の哲学」からクラカウアー『映画の理論』を解読する」
伊藤翼斗「様々な職業で普通になされる行為と専門性の関わり:ある高校英語教師の「家で仕事をする」あり方」
平田公威「ドゥルーズの芸術論について:鑑賞から創作へ」
細井綾女「Kiyono Kenji et anthropologie criminelle dans le Japon des années 1930」
小林園子「バレエ作品のスタイルと“再現”:20世紀以降の物語バレエにおけるプティパからの脱却」
織田和明「平行線と脱走:九鬼周造と中井正一の隔たりについての思想」
第9号(2022)
第9号はJ-STAGEにて公開されています。リンクよりご参照ください。
エルハーフ・レナーテ(伊藤徹訳)「窓とはなにか、考えてみた」
伊藤徹「思想表現としての随筆の可能性について」
檜垣立哉「相米慎二試論(3)相米の1990年代」
Mieko Sawada, "The perspective of Cognitive Science to the appreciation of incense in Kōdō"
Jonathan Augustine, "Epidemics, Charity and the Ritsuryō state"
青山 太郎「「ニューメディア」としてのテレビをめぐる格闘:1960年代におけるドキュメンタリー表現の実験と規制」
姜琦「映像コンテンツのデジタル修復がもたらす社会性:中国アニメーション「天書奇譚」(1983)を例に」
高橋麻公「二次制作と、それを取り巻く神話」
第8号(2021)
池田 忍「「アイヌ・アート」とは何か——「アイデンティティ」・「伝統」・「アート」概念の再検討を通じて——」
檜垣 立哉「相米慎二試論(2) ——1985年の相米慎二——」
細井 綾女「「貞女」か「毒婦」か?——高橋でんとは誰だったのか——」
得能 想平「ジル・ドゥルーズの超越論的経験論における作品制作の側面」
伊藤 翼斗「ある英語教師の「自然」に行なう実践の熟達」
五十棲 亘「1950年代の服飾文化と「教養」の言説——文化服装学院での事例を中心に——」
小泉 空「時間とかたち——ポール・ヴィリリオにおける建築論と映画論の交差について——」
第7号(2020)
李 淑珠「独創性へ 流麗な線へ 陳澄波(1895-1947)の裸婦スケッチについて」
エリー・デューリング「画面が画像を作る時」(磯島浩貴・奥野文夫=共訳)
檜垣 立哉「相米慎二試論(1) ――最初期作品から80年代中期まで――」
望月 俊孝「理性批判、中動相への帰郷」
澤田 美恵子「工芸という文化 -自然とモノからの情報の受容-」
ジョナサン・オーガスティン「Popularizing Hybridity: Politicizing Flamenco and Jazz Traditions」
伊藤 翼斗「授業の準備と実践の現象学的研究」
林 篤宏「レッテルを貼り/貼られるエリオット―エリオット、ニュー・クリティシズム本流、『解釈』一派を巡って―」
高橋 麻公「テンプレートの独裁 テンプレート概念の提案とその効用」